INTERVIEW
仕事に生きる。
家族と生きる。
こんな人生が、あったとは!
記事の概要
24時間働いても、家族は応援してくれる。
そう思い込んでいた。
「24時間戦えますか?」転職前は、そんな猛烈な働き方をしてきました。
最初の仕事はテレビ制作のAD。年に3日しか帰らない、睡眠は毎日2時間、会社の床に段ボールを敷いて寝る生活。40歳手前で健康食品会社に転職しましたが、自社製品のテレビ広告を作っていたので、これもハードワークで。深夜タクシー代だけで毎月30万円は使っていたかな。当時、長男が幼かったのですが、一緒に過ごした記憶がないんです。彼が初めて歩いたときも、妻が「歩いたよ!」と嬉しそうに報告してくれたのに、やや他人事のような…うまく喜べない自分がいて。もちろん成長は嬉しいし、子どもはかわいい。でも、育児なんてできる状態じゃなく、家のことは妻に任せきり。それでも、家族のために頑張って働いているからと、専業主婦の妻は黙って支えてくれていた。息子も、私にわがままもイヤイヤも見せず、良い子に育っていると思い込んでいたんです。
でも、いつだったかな。私が妻に「それくらいやっといてよ」と、少しトゲのある言い方をしちゃったんですね。すると、いつもは何も言わない妻がカッとなって、私に怒ってきたんです。幼い命をワンオペで育て続け、今思えば心身ともに限界だった。それなのに、夫の私がサポートするどころか、トゲのある言い方でリクエストをしてしまって。怒って当然ですよね。今考えれば、穏やかな妻のSOSだったのだと思います。
「このままじゃマズい」
「まだ大丈夫」の葛藤から、転職へ。
「このままだと、家がマズいかも」と、薄々危機を感じる気持ち。「子どもが大きくなればラクになる。まだ持ち堪えられるはず」と、問題を先延ばしにする気持ち…。ジレンマを抱えたまま、働き方を変えられないでいるときに、第二子の妊娠が発覚。同時に会社から転勤の可能性を示唆されました。「東京支社を閉鎖するかもしれないので、そうなったら本社に遷ってもらう」と。会社から期待もされ色々と任されて来ましたから、もちろん迷いましたが…家庭の危機に、転勤が決定打となり、転職を決意。さまざまオファーがあった中で、ランクアップに巡り合ったんです。
そもそも、ハードワークも苦にならないほど、私、仕事が大好きなんですよ。だから給与が良くても、面白くない仕事は嫌。家族の時間を作るための、ラクなだけの仕事もダメ。そんな中でランクアップは、社長の岩崎をはじめ、子育て世代の社員が家庭にも向き合いながら、皆が生き生きと働いていた。最初は「そんな奇跡あるのか?」と半信半疑でした。でも、社員の話を聞くと、確かにやってのけている。これが本当だったらすごい!と望みをかけて入社しました。
入社早々、妻が入院…。
ピンチを乗り越えられたのは、
チームのおかげ。
しかし入社1ヶ月後、早速ピンチが訪れたんです。次男を出産後、妻が体調を崩して、なんと入院。義父母にも頼りながら、自分も会社を休み、家事育児をせざるを得ませんでした。入社早々、普通の会社ではヒンシュクを買いますよね。「なんであんな使えないヤツ採用したの?」と言われかねない。なのに、ランクアップのメンバーたちは、毎回本当に快く送り出してくれて。奥さんは大丈夫か、子どもは元気か、と親身になって心配してくれて。誰かの家族が大変なときは、助け合うのが当たり前の環境なんだと、目からウロコでした。
妻の退院後には、会社に恩を返したい!と、当時はまだ整っていなかった広告出稿体制の改善に奔走しました。私のミッションは、マナラ化粧品のテレビ・ラジオ・新聞の三媒体の広告枠の買い付けと、その枠で流す広告制作。まず代理店さんに粘り強く交渉し、これまで放送ができていなかった、地方の大型テレビ局での広告番組の放送を開始。同時に、番組が放送できても、コールセンターがパンクしたら、注文は受けられませんから、コールセンターの皆さんに協力を仰ぎ、瞬間的に増える電話の注文にも対応できる受電体制を構築しました。コロナ禍で撮影ができないときは、過去素材をフル活用して、制作会社さんと新しい放送素材を制作。ラジオ媒体は、少ない予算で効果が出るよう、私がパーソナリティーとして出演したり(笑)。30年近く、媒体側と制作側で培ってきた力を総動員。その結果、私の入社1年後には、CPO(*1)が、240%も改善するほどの宣伝効果をたたき出すことができ、会社から表彰状をいただきました。
表彰式では、家庭の心配や、必死で駆け抜けた日々を思い出して、泣いてしまいました。どんなに大変なときも、支えてくれたチームにも感謝して。前の会社では、何をやるにも1人で背負っていましたが、ランクアップでは、誰かがピンチのとき、仲間が120%のパワーで助けてくれる。家庭にも仕事にも全力で向き合える秘訣は、このチーム力なんだと思います。信じて任せてくれる会社と最高のチームがあれば、こんなにも高いパフォーマンスを発揮できるのかと、ベテランキャリアの自分でも驚くほどでした。
(*1:CPO お客さま1人あたり、製品定期便を利用いただくまでにかかっていた費用)
長時間労働しなくても、
結果は出せる!
私はランクアップに転職するまで、ずっと夜中まで働いて、結果を出してきました。仕事とはそういうものだと思っていたから。だから、結婚しても、子どもが生まれても、仕事の手を抜かず同じスタンスで働いていたのです。ただ、本当はそんなの無理があった。妻が私の体の心配をしてくれたり、実際自分でも「こんなに長時間労働を続けて、私が病気になったりしたら家族はどうなるんだろう」と、不安がよぎることもありました。
でも、今は違います。夜中まで働かなくても、家族と一緒にいる時間が増えても、私はやりがいある仕事で、結果を出すことができている。大切なのは時間じゃなくて、仕事の質とチームワークだったと気づいた。自分で言うのもなんですが、積み上げてきたスキルをフル発揮して、私は今までの仕事人生の中で、一番活躍していると自負しています。
あのまま働いていたら、離婚だった。
転職してやっと、気づきました。
ランクアップに来てはや5年。意外にも妻は、転職後の方が、私に文句を言うようになったんです。子どもを公園に連れて行って30分や1時間で帰ってきたら「なんでこんなに早く帰ってくるの!?」とか(笑)。すいません、最初は遊び方すら、わからなくて…。「今さらだけど、長男が小さかった時は何もしてくれなかったよね。あのままだったらマズいと思っていたよ」と言われたことも。マズいって…離婚ってことですよね…?(笑)子どもの幼少期に育児にコミットしてないと、奥さんは旦那さんを頼りにしなくなり、熟年離婚につながるとよく聞きますが、ランクアップに転職してなかったらうちも…考えるだけで、ゾッとします。
今になって、色々と思うんです。私は幼い長男に、わがままを言われた記憶があまりない。それは、わがままを言うわが子に自分が気づかなかっただけなんじゃないか。妻が黙ってサポートしてくれていたのも、応援してくれていたのもあるけれど「忙しいのに、頼っちゃダメだ」と、かなり我慢もしていたんじゃないか。「会社から頼りにされている」と、責任を一身に背負っていた自分。社長からも「君しかいない」と期待ともプレッシャーともとれる言葉をもらい、やるしかないと自分を奮い立たせていた。けれど、当時「あなたしかいない」と私を本当に頼りにしたかったのは、妻の方だったんじゃないかって…。
もしあの頃に戻れるなら、4歳だった長男と、もっと公園で遊びたい。妻を怒らせるんじゃなくて、もっと笑顔にしてあげたい。
仕事に使命感を持つ人ほど、「まだ大丈夫」と家庭の問題を先延ばしにし、働き方を変えられない傾向は、あるかもしれません。でも本当は気づいた時点で、思いきって変えなきゃダメ。だって、仕事は面白いですけど、離婚して家族と会えなくなったら?それでも「仕事があればいいや」とは、ならないじゃないですか。仕事で踏ん張れるのも、大切な人がそこにいてくれるから。「働き方を変えてしまうと、やりがいまで失うのでは」と踏み出せない人がいるなら。大丈夫、両方叶えられる環境が、ここにあります!決して生易しくはないけれど、仕事も思いっきりやって、家族にもしっかり向き合う。するとまたフレッシュな気持ちで、仕事が一層面白くなるんです。
過去の自分にも言いたい。「私は今、仕事も家族との日々も、人生イチ面白い!」って。